【イチロー引退】「ルーティーン」とはサムライ野球選手の「いまを生きる」死生観
プロ野球選手になって27年、メジャーリーグに挑戦して18年。
2019年3月21日、マリナーズのイチロー外野手が、東京ドームでの対アスレチックス日本開幕戦後に現役引退を表明した。
ニューヨークタイムズは、
「偉大な選手にとどまらず、母国・日本ではエルビス・プレスリー、ベーブ・ルース、ビル・ゲイツを1人にしたような存在だった」
「彼は象徴(icon)であり、アイドル(idol)であり、神話(myth)だった」
と最大級の賛辞で引退を報じた。
イチローは引退記者会見で次のように語った。
「結果を残すために、自分なりに重ねてきたことはありますが、『人よりも頑張ってきた』とはとても言えないし、そんなことはまったくないですけど、『自分なりに頑張ってきた』ということはハッキリ言えるので、『重ねることでしか、後悔を生まないということはできないのではないか』と思います」。
「自分なりに頑張ってきた」
「重ねる」
「後悔を生まない」
このキーワードにイチローの人生が凝縮しているように思う。
かつてイチローはこうも語っていた。
「生まれた瞬間から死に向かっている」
「未来の自分は分からないから、ありったけの自分をいま捧げる」
「笑って最後を迎えたい。笑って死にたい」
イチローと言えば「ルーティーン」のことが語られるが、その大前提としてイチローの”サムライ”のような「死生観」「生き様」を理解する必要があると思っている。
明日をも知れぬ人間は目前の課題に全力で取り組み、それを地道に積み重ねるしかないことをイチローは教えてくれる。
そんなイチローにインスパイアされながら、自分も今日の「ルーティーン」にありったけの自分を捧げたいと思う。
イチロー選手、お疲れ様でした。
ありがとうございました。
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